ふぉれもりさんの思い付き

普通のサラリーマンの仕事で感じたことや、趣味の吹奏楽(特にトロンボーン)や日常で感じたことを書いてます。

自分のやっていることは正しいのだろうかぐるぐる

こんにちは、ふぉれもりです。


なぜブログを毎日更新しているんだろうか。
それは、文章を書く癖をつけるという点から。

人と話をすることは大好きなのだが、いかんせん文章にすると全くもってだめ。

今でも、習慣になってはいるが内容がスカスカだし書きたいものを書いている気もしない。
自分のために始めたのに、自分のためになっていない。


努力するベクトルが間違っているのかもしれない。
精一杯書いているが、「誰に伝えたいのか」「こんな人に読みたい!」と思ってもらおうという意識が薄いかも。
書く相手がいないのに書くって、話し相手がいないのに話しているやばいやつと変わらないな。

価値のないことしてるな・・・こうやって気づくときに自分のことがダメなやつだなと思ってしまう。

こうやって、自分のことを嫌いになってしまうのはだいたいやっていることに無駄な時間を過ごしてしまったと感じた時。

無駄=生産性のない行動をとった時と思っていて

・痩せたいと言いながらだらだら何かを食べている
・運動しようと言いながらごろごろしている
・読書して何かに活かすぞ!と言いながら読んで満足していたり

何もしていないにしても、ブログにつなげられるようなことはせめてしないとと思う。

こんな風に書いているのは、DaigoさんのYouTubeで悩み解決のやつみたけど何かもメモしていないしやっぱり無駄が多い。


しかし、あらためて仕事でも普通のポジションでしかいてないところから、社会人になって生産性の低い、浪費ばっかりで生きてきてしまったのかなと感じてしまうこの頃。

文章一つもろくにかけないし、何していたんだか。

コロナ禍で、人とも会わなくなるとあらためてつながりの薄い人付き合いをしていたのかなと思ったり、そんなところから自分の心から楽しい事よりも「こんなできない自分」に向いてしまうんだよな。


嫁と2人の時間が長くなると、嫁に甘えて弱音を吐いてしまってた昨日。
「大丈夫!」といつも強く励ましてくれる嫁。

本当は俺が守ってあげるために、もっと行動しないといけないのに。

出来ないことを肯定したいわけではないが、できていない自分をちゃんと見ずにやっていないことは肯定という名の言い訳をしてしまっている。

何がしたいのか
どうなりたいのか
自分の軸にしたいことは何だ?

目標というものがないのにとりあえず頑張ればいいやというほど時間はないのだ。
「金」と「時間」。
この2つが足りないとわかっているからこそ、全集中して目の前のことに取り組んでいない自分に嫌気が出ているのかも。

1つずつ、目標を定めるところから始めよう。
やることよりもやらないことを決めて時間を作ろう。
副業として金を稼げるように行動することを続けよう。

これができ始めたら、何しているんだろうという虚無感はなくなりそうだ。


書くことですこーーーーーーーーーーしだけ気持ちが落ち着いたかも。

がんばります。

ではでは、ふぉれもりでした。